2012年9月25日火曜日

「メメント・モリ」(mmento mori)~君の死を忘れない


一緒に働いた仲間
Kくんの死を悼み、ブログを書きます。


2週間前の月曜の朝
会社に出社したら部署の人たち一斉にミーティング。
何かあったのかと思ったら
事業部長より

「Kくんが土曜日に亡くなりました」

そんな冗談でしょ。
またー。

そんな空気が一瞬流れました。

でも事業部長の顔は真剣そのもの
多少、やつれた感がありました。


マジで?!


「土曜日に友達とバスケットをしている途中に倒れそのまま心肺停止になり
なくなったそうです」


は?
うそでしょ!


みんなの声からでてきたのは驚きの言葉
あとに続いたのは絶句という沈黙。

みんなの言葉にならない気持ちを納得させるかのように


「通夜は明日、告別式は明後日だからみんなでいこうね」


本当なんだ。
そばからは女子社員の泣く音が聞こえてきました。





そんなこんなでまだ残暑が残るなか
部署の人間みんなで
通夜と告別式に参列してきました

お葬式って生きている人のためにあるんだなーと

彼がいない生活が始まること
それをきづかせてくれるのがお葬式なんだなと
思いました。



Kくんは入社して3年
ネットワーク責任者として
また開発部の責任者としてよく働いてくれました。
技術者ながらコミュニケーション能力にすぐれ
プログラマーとデザイナーの橋渡しはもちろんのこと、
営業と開発との間をとりもってくれたり
各部署間の連携もやってくれました。
彼の向学心や向上心、問題解決していこうという前向きな姿勢は
見習うところもあり
今までに類をみないすばらしい技術者であり、責任者でした。

彼がいなくなって2週間
いなくなったスキマを埋めるかのようにわたしたちは過ごしてます。
彼がいなくて本当に仕事がまわるのか?そんな心配を当初していましたが
彼がもともと部下にも自発的に仕事の管理をするように教育していたので
誰ともなく自分の仕事をこなし、彼がやっていた仕事をみんなで振り分けて
なんとかやっています。


そう。
いつ死んでも、後悔がないように
いつ死んでも、自分のかわりをすぐ他のひとができるように
いつ死んでも、周りの人間がこまらないように
単純明解な生き方
そんなふうに生きていきたい

彼の死からそういうことを考えました。



ありがとうKくん。
またね。