2013年8月11日日曜日

両親のことについて書いてみる〜オトン編

ブログ全然更新せず。。。。。

おひさしぶりです、フヌフです。


さてさて、終戦の日を来週に控え、
戦争経験者であるわたしの親のことを書いてみようを思います。

ちなみにおとんは6年前の8月17日に亡くなりました。
今年は7回忌です。早いものです。


さて、おとんは昭和6年生まれ。
今の平壌で生まれました。
8人兄弟の3番目。
長兄は海軍?か陸軍か?志願して出兵し
戦争でなくなったそうです。


父方の祖父は満鉄職員でした。
いつごろ満鉄の職員になったのか知りませんが
話によるとおばあちゃんと結婚してから平壌に移ったと聞いた覚えがあります。

わたしが小さいころはよく祖母から平壌での生活の話を聞いたことがあります。
お手伝いさんがいて、裕福な生活を送っていたそうです。
祖母が亡くなる前はよくこの時代の話をしてくれました。

「リンゴがとっても美味しいんだよ」

ちなみにこの祖母は桜島大噴火も経験しております。その話はまたいつか

戦争で日本が負け日本に帰る時
おじいちゃんが満鉄で働いていたということもあり
すぐに一家みんなで日本に帰ってくることができたそうです。
ただ大きい荷物を持って帰ることもできず
なにせ7人の子供を抱えての帰国ですから
みんな子供の服の内側にお金やら貴金属を縫い付けて帰ってきた
という話をお父さんから聞いたと母がいってました。
父はあまりこの時の話をしませんでした。

というのも
日本に帰ってきてからの生活が大変だったそうで
プライドの高い父でしたし、終戦当時父は中学生。
一番多感なときでいろいろ苦労したと聞きました。

日本に帰ってきてからは
おじいちゃんは串木野の漁場で働き、
おばあちゃんは魚をしょって行商をしていたそうです。

中学を卒業した父は高校に1年ほど通っていたらしいのですが
家庭が苦しいので退学し、地元の漁師になりました。

今の高校生ぐらいの年齢ですから、
結構先輩漁師にいろいろ悪さやお酒を教えてもらったらしく
やんちゃだったらしいです。

父はお酒が大好きな人間で
機嫌良く酔っぱらっている日はよく若かりし日の喧嘩話をきかされました。


続く。